社団法人宮城県柔道整復師会「接骨院ボランティア宮城」は、平成16年10月31日(日)より11月7日(日)までの8日間、「新潟県中越地方地震」による被災者の避難所におきまして延べ11名の会員によって二人一組となり、一泊二日、リレー方式による滞在型ボランティア活動を、特定非営利法人「みやぎ災害救援ボランティアセンター」医療救護チームとして活動しましたので、下記の通り報告をします。
■10月28日(木)
災害発生後、メディアからの情報を基に当会は、特定非営利活動法人「みやぎ災害救援ボランティアセンター」に活動を申し入れ。
■10月29日(金)
新潟県長岡市災害ボランティアセンターより受け入れ要請を受けたとの情報を受け、「みやぎ災害救援ボランティアセンター」と対策を協議。
■10月30日(土)
SVM対策会議。必要備品、衛生材料の調達に入る。
■10月31日(日)
AM5:00第一陣、被災地へ出発。同日、「新潟県長岡市災害ボランティアセンター」が予め用意していただいた長岡市学校町1-2-1 長岡市市民体育館に、救護所設営。PM2:00~PM7:00まで治療活動。
■11月1日(月)
AM9:00~PM12:00まで長岡市市民体育館、及び近接図書館に避難されていた方々を救護活動。
救護所が体育館の奥詰まったところであった事、避難者の方に判りづらい事、避難者が少ない(400名位?・夜になると車で寝る方が帰ってくる為、正確な数字は掴めていない様子)等、来患者が少なかった為、被災者の多い避難所を希望。話し合いの結果、避難者の特に多い栖吉中学校に移動。
PM3:00~PM7:00、「栖吉中学校」並びに「栖吉小学校」合わせ2千名程(新潟県長岡市災害ボランティアセンター談)の避難者を対象として、栖吉中学校体育館(長岡市悠久町2-1720)の入り口近く、教室階段下に救護所を設置活動。
ライフライン復旧と共に日増しに減少していきましたが、11月3日までの最後のガス復旧までは両校体育館、教室内に多くの方が避難されていた状態でした。
■11月2日(火)AM9:00~PM7:00まで救護活動
■11月3日(水)AM9:00~PM7:00まで救護活動
宮城県庁総務部危機対策課より、高速道路通行証を頂く。(10月31日と11月1日、派遣組みには間に合いませんでした)
■11月4日(木)AM9:00~PM7:00まで救護活動
■11月5日(金)AM9:00~PM7:00まで救護活動
■11月6日(土)AM9:00~PM7:00まで救護活動
ライフライン完全復旧と共に帰宅者が多く、教室にいた避難者は体育館に移動。教室が空いたため、狭かった階段下から隣の教室へと移動。
■11月7日(日)
PM12:00まで救護活動、PM2:00撤退。;
リレー式:10月31日(日)~7日(日)まで、派遣会員の車での道中の安全を考慮して(片道、約4:30)、夜間走行を避け、仙台AM6:00~7:00出発、AM11~PM12:00に前任会員と交代して、車中にて就寝。翌日AM11~PM12:00に後任会員と交代することを原則としながら活動をしました。
■治療時間
AM8~9:00~PM6~7:00(昼食は寸暇を利用して取る様にしました)
朝、跡片付けに行く前と、夕方帰ってきてからの来患者が特に多く、昼は高齢者の方が多い状態でした。また、栖吉小学校の避難者は救護所まで来られる方と、症状の重い方と高齢でこれない方の為の出張治療の依頼とが重なりまして、救護所が手薄状態となり時間帯によっては手が回らずと戸惑うほどでした。
■治療内容
主に、災害時の負傷、跡片付け中に負傷した捻挫や、打撲、肉離れ、または疲労からくる 首、肩、背中、腰、膝や関節、筋肉の痛みが大多数でした。治療したくとも行く暇もなく、我慢に我慢を重ねていた状況下でした。ライフラインの回復と共に避難者が減少した11月3日以降も、自宅から通ってこられて継続治療をされる方が多くみられ、滞在型医療ボランティア活動に多大なる評価を頂きました。治療をさせていただいた患者数:370名、(私達の治療法は、痛いところを一つ一つ治療します。従いまして、お一人10~20分ほど、症状によってはそれ以上を要す。)
■感謝
11月2日、東京都江戸川区で開業の、藤 義徳先生がお一人でボランティア活動のため被災地に飛び込まれてきたとのことで、SVM救護所に訪ねてこられました。ご一緒に一日活動していただきましたこと、心から御礼申し上げます。
■その他
メディアが集中取材をしていた山古志地域や小千谷地域にボランティアの人達も集中していて、「栖吉中学校」並びに「栖吉小学校」避難所(学校は隣り合わせ)合わせて、一時は2千名以上(新潟県長岡市災害ボランティアセンター談)の避難者がおられたとのことでしたが、メディアには余り取り上げられていないようでした。